和田アキ子
和田 アキ子(わだ あきこ、本名:飯塚現子(いいづかあきこ) 1950年4月10日 - )は、大阪府大阪市生野区生まれの日本の歌手、タレント、女優、司会者、実業家である。旧姓名は金福子(Gim Bokja)(出身国籍参照)。愛称は、「アッコ(さん)」「アコ」「アッコちゃん」「ゴッドねぇちゃん」「芸能界のご意見番」。 所属プロダクションは、ホリプロ。血液型O型。公式プロフィールでは身長174cm[1]。 プロフィール 歌手司会 私立城星学園高校を3日で中退。15歳の頃からジャズ喫茶などで歌い始める。長身から発せられるパワフルな歌声は評判を呼び、ホリプロ(当時:ホリプロダクション)社長堀威夫直々にスカウトされる、当時はグランプリズ(夏夕介が在籍)というバンドを組み、大阪と神戸三宮で活動していたが実際にデビュー出来たのはボーカルの和田のみであった。芸名の「アキ子」の「アキ」がカタカナなのは、本名の「現子」が普通に読めないため、当時のホリプロの社長が付けた。本名は当て字である(人名名前に用いられる漢字参照)。 1968年10月25日、『星空の孤独/cw バイ バイ アダム』でレコードデビュー。キャッチ コピーは「和製リズム アンド ブルースの女王」。このデビュー曲は話題にならなかったが、2曲目の『どしゃぶりの雨の中で』がヒットし、人気歌手の仲間入りをした。 1970年、『女番長野良猫ロック』(日活)で映画初出演を果たす。また、『笑って許して』で『第21回NHK紅白歌合戦』、NHK)に出場、紅白初出場を果たす。 1972年、『あの鐘を鳴らすのはあなた』で第14回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞。 1973年から日本テレビ系のバラエティ番組『金曜10時!うわさのチャンネル!!』に出演。番組内で「ゴッド姉ちゃん」と呼ばれ、せんだみつお、湯原昌幸、ザデストロイヤーらとドタバタギャグを繰り広げたことで、デカくて コワい 強いというイメージが全国的に広まった。姐御肌のキャラクターや、女性としては高い身長、靴のサイズの大きさ(27cm)などによる。1979年、「ゴッド姉ちゃん」のイメージが定着してしまったのを嫌い『うわさのチャンネル』などのバラエティ番組レギュラーを降り、歌手一本で仕事をすると宣言。日本テレビと折り合いが悪くなる(現在は和解)。1985年から『アッコにおまかせ!』の司会を担当。長寿番組となる(2008年8月現在)。 1986年、歌手として紅白に1978年以来8年ぶりに出場。以後、連続出場中(2007年現在)。1987年、1988年、1997年には紅組司会も務める。1998年、『第49回NHK紅白歌合戦』で『今あなたにうたいたい』を歌い、自身初の紅白大トリを務める。抜群の声量を生かし、曲の途中ではハンドマイクを使わずに歌うパフォーマンスを見せた。 2005年7月13日付のオリコンチャートでm-floとのコラボレーション作品「Hey!」がオリコン初登場9位を記録し、自身33年ぶりとなるオリコンTop10入りを果たす。また、自身のキャリアにおいて初となる白組での紅白出場。 2006年『第57回NHK紅白歌合戦』に出場し、女性歌手では当時2人目(1人目は島倉千代子)の30回出場を達成。 2008年、競艇(日本モーターボート競走会)のイメージキャラクターとなる。 2008年9月29日、ニューヨークのアポロ シアターで、単独公演を行った。日本人の“ソロ歌手”としては、単独公演は初となる。 プロデュース業 2007年4月10日、東京西麻布に和食屋「わだ家」をオープン。和田はプロデュースのみを行い、和田の弟が経営をしている。 婚姻歴 1976年にプロモーション会社社長と結婚したが、8ヶ月で離婚。1981年、現在の夫であるカメラマンの飯塚浩司(テレビ制作広告代理会社「エー アンド ケイ」代表取締役社長)と再婚。その直後、病気(子宮ガン)が元で子供が出来ない身体となり、それを理由に離婚を求めたことがあるが、夫は「子どもが欲しくて結婚したのではない」と言った。その後も、飯塚とは現在に至る。 フィリピンやその他海外の子供の里親をしていた事がある。 出身国籍 1950年、大阪府大阪市生野区鶴橋出身。 済州島出身者の父と、朝鮮半島出身者の母を持つ在日韓国人2世の出身で、かつての本名は金福子、通名は金海福子である。芸能界デビュー時に、在日だとわかる名前をまずいと思った父親が、和田アキ子の叔父(叔父は当時既に帰化して「和田」姓だった)の養子にしてもらい、同時に名前も「現子」と改名して「和田現子」となった[2]。現在彼女本人が日本に帰化しているかどうかは資料がなく不明。