氣志團
小档案 綾小路 翔(翔やん):VOCAL,DRAGON VOICE,MC&GUITAR 「房総の狂犬」(1976年4月26日生まれ-32 B型) 誇り高き團長。千葉県君津市出身。DJ OZMA矢島美容室の矢島ナオミと同一人物である。 「永遠の16歳」を自称するが、親友であるまちゃまちゃが摩邪名義でネタ本「って言う女!」を出版した際に二人が中学校時代の同級生であったことが判明し、そのことから実年齢も一般に知れ渡ることとなった。184cm、59kg。 2004年に発売された波田陽区の『ギター侍のうた』で「30過ぎてますから!」と言われていたがこの時点ではまだ28歳だった。 早乙女 光(ひかる):DANCE&SCREAM 「森の堅者」(1月24日生まれ- A型) 千葉県富津市出身。精神年齢4歳。173cm、62kg。 西園寺 瞳(トミー):GUITAR 「多摩の大巨人」(10月23日生まれ- B型) 東京都多摩市出身。早稲田大学に在籍していたとの説あり。209cm、72kg。 星 グランマニエ(ランマ):GUITAR 「薩摩隼人は泣きの竜」(3月1日生まれ- A型) 鹿児島県鹿児島市出身。187cm、56kg。 白鳥 松竹梅(マツ):BASS GUITAR 「はちみつ大好きこぐまちゃん」(3月17日生まれ- A型) 鹿児島県鹿児島市出身。178cm、59kg。 白鳥 雪之丞(ユッキ):DRUMS&DRUNK 「美しき野獣(のけもの)」(1976年5月24日生まれ- A型) 千葉県君津市出身。183cm、57kg。 小简介 氣志團(きしだん)は、千葉県木更津市出身と鹿児島県出身のヤンキー系ロックバンド。契約しているレコード会社はEMIミュージックジャパン。所属事務所はソニーミュージックアーティスツ。 自らのロックをパンクロックとヤンキーの融合「ヤンクロック」と提唱する。1980年代の不良を髣髴とさせるリーゼント&学ラン姿とそれに反して甘い青春を歌い上げる彼らは、KISSES(キッシーズ)と呼ばれるファンから熱狂的な支持を受けている。 『めちゃ2イケてるッ!』の人気コーナーだった「数取団」のモデルである。ナインティナインと綾小路翔が「オールナイトニッポン」のパーソナリティ同士としてつながりがあったため、彼等もこれを公認しており、同コーナーにゲスト出演もしている。 大事件 木更津の不良界にカリスマ的存在として君臨した、「スーパースターヤンキー」綾小路“セロニアス”翔によって1997年結成された。名前の由来はマンガ『本気!』の“気志団”から[1]。また、当時の通称は「房総の狂犬」だった。 「大胆かつハレンチに、Vのベルトはバレンチノ!!」を合い言葉にライブハウスでGIGを展開する。なお、ライブやコンサートのことをGIGと呼ぶのは、BOWYに倣ってのことである。ベストアルバム『死無愚流 呼麗苦衝音+3』にもジャケットにBOWYのパロディを取り入れている。 2000年10月にはファーストミニアルバム『房総与太郎璐薫狼琉』をティンスターからリリースした[2]。なお、このアルバムは当時150枚程度しか売れておらず、倉庫には4000枚程度が眠っている、ということを綾小路自らが当時の深夜放送で語っていた。 2001年6月22日には『One Night Carnival』をリリース(ティンスターより)。同年7月1日には、渋谷ON AIR WESTにてワンマンギグ『氣志團現象~ハイウェイに乗る前に~』を決行。GIGは大盛況となり、入りきれない関係者からクレームを受ける程となった。その人気を知った業界各社からオファーが殺到し、東芝EMI社と契約した。 2002年、テレビドラマ『木更津キャッツアイ』に出演。このドラマで氣志團の知名度が更に向上した。その翌年には同ドラマが映画化され、その映画内では氣志團が木更津で野外ライブを行った。 2002年3月7日、NHKのトップランナーに出演。この番組で、トークのおもしろさが知れ渡り、バラエティ番組のオファーが来るようになった。 2002年3月30日、代々木公園野外ステージにてフリーGIG3.30原宿暴動を敢行。2万人の集客を得る。代々木公園野外ステージでのフリーライブは、他にもthee michelle gun elephant や175Rが行っている。 2003年2月7日「筑紫哲也 NEWS23」の「金曜深夜便」にて民放の地上波に初出演。筑紫哲也氏を木更津に招待し思い出の地を回った。このとき初めて氣志團万博の計画を明かしている。 2003年8月30日に、ロックフェスティバル氣志團万博を開催し、4万人を集客した。前座はGLAYが務めた。 2004年1月3日、1月4日には、念願の日本武道館でGIGを敢行。その後、アメリカで行われたSxSWに出演した。 2004年7月24日、7月25日は国立代々木競技場第一体育館でGIGをし、この模様はNHK (BS2) でも放映された。 2004年11月25日にはベストアルバム発売、同日弟分の微熱DANJIが氣志團の曲「甘い眩暈」でデビュー。 2004年11月27日、一連の氣志團現象を総括する氣志團現象最終章のツアーファイナルは、当初幕張メッセと発表していた会場を変更し東京ドームでGIGを敢行。ギターの星グランマニエが転落事故(通称【ポトリコポトリカ事件】)で入院したため5人でのGIGとなったが、無事成功に終わった。年末には初となる紅白歌合戦にも出場した。星グランマニエの立ち位置には、彼を模した人形の安全太郎君がいた。ドラマ冬のソナタでブレイクしたペヨンジュンが7人登場する等その年の出来事を基にしたパフォーマンスが話題を呼んだ。 2005年12月31日、2回目の紅白歌合戦出演。曲目は昨年と同じ『One Night Carnival』(スキウタで選ばれたため)。フルメンバーとしては初の紅白出場である。紅白ではリーゼントのカツラをとるパフォーマンスを見せたがリーゼントは本物である(2004年の紅白歌合戦でも同様のパフォーマンスを披露した)。実際紅白で普段一時間以上かかるリーゼントを6分で仕上げたという記録の持ち主でもある。 2006年8月26日、27日の二日間、極東NEVER LAND(通常は富士急ハイランドと呼ばれている)にて『KISHIDAN 10th ANNIVERSARY SPECIAL 氣志團万博2006“極東NEVER LAND”』を開催。これで全都道府県を制覇した。 2009年4月25日26日、2年7か月ぶりの武道館でのGIG開催。各日1万2千人を動員。