歌手倍賞千恵子的头像

倍賞千恵子

小档案倍賞 千恵子(ばいしょう ちえこ、1941年6月29日 - )は、日本の女優、歌手。愛称は「チコちゃん」。倍賞美津子は実妹。弟は猪木事務所社長の倍賞鉄夫と日大三高甲子園準優勝時のメンバーで日産自動車野球部元監督の倍賞明。夫は作曲家の小六禮次郎。小简介東京都北区滝野川に育つ。戦時中は茨城県に疎開。北区立滝野川第六小学校、北区立紅葉中学校(現北区立滝野川紅葉中学校)卒業。父は都電の運転士だった。1957年、松竹音楽舞踊学校に入学。1960年、同校を首席で卒業し、松竹歌劇団(SKD)13期生として入団する。同期に榊ひろみ(松竹女優)、加藤みどり(声優)ら。学校時代の実習出演を経て、入団後の初舞台は同年のグランドレビュー「東京踊り」。この年から、主席入団生にフィナーレの先頭を切って大階段を降りる栄誉が与えられ、バトンガールに扮した倍賞がその初代を勤めた。1961年、松竹映画にスカウトされ『斑女』(中村登監督)で映画デビュー。1963年、山田洋次監督の映画『下町の太陽』に主演し、以降、山田映画に欠かせない庶民派女優となる。『下町の太陽』は映画歌だけでなく、現在もそのフレーズ自体が倍賞の代名詞になっている。映画『男はつらいよ』シリーズで、渥美清演じる主人公車寅次郎の妹、さくら役でその人気を不動にした。『家族』以下、シリーズの合間を縫って山田監督が発表したオリジナル大作や、シリーズ開始前の初期作品もほとんど彼女の主演であり、実に六十数本、しかもほとんどが主演か準主演という、海外にも類を見ないほどの緊密で長い監督主演女優コンビである。逆に他監督作品への出演が少なく、悪女役への意欲も口にしていたものの映画では結実しなかった。松竹歌劇団出身ということもあり強いモダニズム志向もステージには伺えるが、映画ではやはり稀である。明るいが優しく淑やかなさくらのキャラクターに比べると実像はもっとチャキチャキしているとは本人が常日頃口にしており、そうした陽性の側面を引き出す企画として山田の愛弟子高橋正圀はNHKテレビドラマ『ぼくの姉さん』二部作を書き下ろした。ただし、これも山田喜劇の延長線上であり、イメージチェンジとまではいえない。1996年8月13日に開かれた「寅さんとのお別れの会」では弔辞の後に「さくらのバラード」を献歌した。1980年の山田洋次監督作品『遙かなる山の呼び声』で日本アカデミー賞、毎日映画コンクールの主演女優賞を、1981年の降旗康男監督の東宝映画『駅 STATION』でキネマ旬報賞、毎日映画コンクールの主演女優賞を受賞。 2004年には、宮崎駿監督の映画『ハウルの動く城』で、ヒロインであるソフィーの声を担当し、主題歌『世界の約束』を歌っている。1963年には『下町の太陽』で歌手としてもデビューし、第4回日本レコード大賞新人賞を受賞。NHK紅白歌合戦にも4年連続出場した(詳細は下記参照)。他のヒット曲に「さよならはダンスの後に」「おはなはん」「忘れな草をあなたに」(菅原洋一らとの競作)などがある。歌謡曲からポピュラー/スタンダードに童謡唱歌まで幅広いジャンルを歌いこなせることに加え、日本語の発音の美しさから歌手としての評価も非常に高く(藤山一郎も評価している)、現在でも精力的にコンサート等を行っている。『男はつらいよ』で共演した吉岡秀隆とは今でも親交が深く、北海道野付郡別海町の倍賞の別荘に遊びに来た際には、(吉岡に)マッサージを頼むほどの仲である。音楽活動は女優業と平行して行っており、映画『男はつらいよ』終了後は、音楽に重点を置いた芸能活動をしている。吉永小百合ほどでは無いものの、テレビドラマへの出演が少ないことでも知られているが、志村けんのコント番組に出演することが極稀にある。2001年に自身の胸のしこりから乳癌が発覚。2005年(紫綬褒章受章)頃よりピンクリボン活動に参加し、シンポジウムなどにも顔を出している。その後、同じく乳癌を発症した山田邦子が立ち上げた「スター混声合唱団」のメンバーとしてもがんの啓発活動を始め、2008年4月放送のBS朝日「鳥越俊太郎の遺言~ガンと共に生きる~」において、初めて手術時の心境や夫の力添えについて公に詳述した。なお、今まで仕事上の支障が無かった事から、具体的な闘病生活についてはその番組収録まで意図的に伏せていたと言う。