中村中
両親は幼少期に離婚し、母親のもとで育つ。また、兄と姉がおり、3人兄弟の末っ子である[5]。両親が離婚してから、千葉県成田市に住んでいた時期もある。 子供のころは歌うことを好んで楽器には興味を示さなかった。しかし、10歳の時に合唱コンクールがあり、懸命に歌う中村の姿が同級生には疎ましく思われ、中村は同級生と一緒に歌う気をなくす。歌わない選択肢として指揮者とピアノの伴奏者があったが、指揮者はすでに決まっていたので、中村は伴奏者になった。そして、独学でピアノを修得[6]。さらに、10代初めの変声期、変っていく声への違和感から歌うことに苦痛を感じることさえあり、これがきっかけとなってドラムなどの楽器を演奏、さらに作詞作曲をするようになった[7]。 中学校の吹奏楽部に所属する傍ら、複数のバンドを掛け持ちし、ギターやドラムなど、様々な楽器に触れる。中学校の卒業する間近にして出会った地元のストリートミュージシャンに啓発されて、路上ライヴをやるようになる[6]。 性同一性障害を抱えており、戸籍上の性別は男性であるが、精神は女性。ただし、本人は「男という自覚も、女としての実感もない」といった感覚である事が窺える[8][9]。本人が性別に対する違和感を自覚したのは小学生の時、好きな男の子が出来た時だった[7]。その事が原因で、同級生からイジメを受けたという[5]。 尊敬する歌手としてちあきなおみ、槇原敬之、大黒摩季、小田和正、森山直太朗の名前をあげている。男性歌手が歌うラブソングが好きで、とりわけ「槇原さんは私にとって神様みたいな存在です。」と語るほどに槇原敬之への思い入れは強く、自身のライブでは槇原の「THE END OF THE WORLD」を歌ったこともある[10]。 2006年からは舞台を中心に俳優としても活動するようになったが、これについては「演技も歌うことと同様に捉えている」と語っており[11]、表現者として歌手と俳優も同じことであると考えている。なお、これまでに出演した役柄においても全て劇中で歌唱シーンがある。